【Dancer Interview Vol.01】MANKEY

Published:2012/03

記念すべき第一回目は、Swing Men Brothers、ホーシングGuyzからMANKEYさんです!

MANKEY氏

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MANKEY武勇伝の始まり

NJSC:
MANKEYさんが、ダンスを始めたきっかけを教えて下さい。

MANKEY:
当時、俺は千葉県の柏に住んでいたんだけど、最初は、筑波のディスコで始めたんだよ。

クラブに車で行ってたから、18才の頃にダンス始めたんだろうね。
筑波のEXCEL(エクセル)っていう、ディスコかな。
お祭りにナンパしに行くのに行ったのが始まり。笑
当時はエントランスで2~3000円くらい払って、フリーフード・フリードリンクで。
毎週土曜日はそこに行くんだよ。
初めて行った時に、今思えばそんなに上手ではなかったのかもしれないけど、フロアで踊っている人が凄い格好良く見えて=もててたのよ。笑
それを見て、一緒に行っていた友達と、次の日から練習だよね。笑

NJSC:
やっぱり動機はそこですよね。もてるために。笑

MANKEY:
近所のマツモトキヨシの駐車場で。
仕事をしていたから、夜集まって。
毎日集まって練習してたよね。それが、遊びだからさ。
それで、毎日夜集まって、練習して、土曜日にそこに行くみたいな生活をしていたよね。

NJSC:
MANKEYさんがダンスを始めた頃というのは、「ダンス=New Jack Swing」、色々なジャンルのダンサーがいるというよりは全員がNew Jack Swingを踊るといった感じですか?

MANKEY:
そうだったね。
BobbyBrownとか全盛の。
皆、New Jack Swingやってたよね。

NJSC:
一番最初に覚えたステップってなんですか??

MANKEY:
一番最初に覚えたのは、
ランニングマン、クラブ、ロジャー・ラビットとかだね。
東京の高校に行っている友達がいて、そういうやつらは洒落てるから(笑)、ディスコ行ったり、ダンスしてるやつがいたんだよ。
その友達に習ったり教えてもらったりしてたよ。
それやっている間に、DADAがやってるとかダンスの情報が入ってきたよね。
仲間がBobby Brownのビデオ手にいれたとかさ、真似してみたりとかをずっとやってたよね。

DADA優勝、そしてDorD結成へ

NJSC:
ダンスを始めた時は、既にDADAは放送していたんですか?

MANKEY:
やってたやってた。
知らなかった!全然、DADAとかダンスとか全く興味なしでクラブに行ってダンスを見てかっこいいと思って始めたから、最初は何にも知らなかった。

踊り始めてから、DADAを知って、DADAを見るようになって、DADAに出たくて、優勝したくて(笑)

NJSC:
それでDADA出たのは何歳くらいの時でしょうか?

MANKEY:
19歳だね。
19の時に、DADAに出て、2回目の時に優勝したのかな。

ちなみに、DADAは2本撮りなんだけど、一回目俺が優勝して、俺の次が陽之助(DorD)だったんだ。

NJSC:
お~DorDがそこに!
と言うことは、ダンス甲子園に出ていたのとDADAに出られたのは、同時期ですか??

MANKEY:
いや、DADAにでたのはDorDの前だね。

その時は、お互い知り合いじゃなくて。
陽之助とか当時めちゃくちゃオシャレで、収録をマハラジャでやっていたんだけど、収録とかタクシーで来ちゃうみたいな。笑

NJSC:
かっこいいですね。笑

MANKEY:
俺とかその時代タクシー乗るとかなかったからね。笑
タクシーでめちゃくちゃかっこいいやつ来たなとか思ってさ。

で、俺が撮り終わって見てたら、
「あ、あいつ優勝した」
見たいになってて。やっぱりって思って。

それからしばらくして、新宿のセンチュリーっていうディスコに上手いダンサーがいっぱいいるよって聞いて、それで行くようになって。

NJSC:
筑波も行きつつ??

MANKEY:
筑波は土曜日に行って、新宿には日曜日いったんだよ。
そこで、陽之助と会って、DADAで優勝したよね?って話になって話すようになったんだ。
そこから、陽之助とは仲良くなっていったんだよ。

NJSC:
中々聞けない話ですね。笑

MANKEY:
で、日曜日のセンチュリーには上手な人が来てたから、そこにできるサークルに入るのが目的だったんだよ。

NJSC:
上手い人だらけで一杯ってことですね。

MANKEY:
そう、だから、初めはマツモトキヨシで練習してたのは、土曜日の筑波でもてるため。笑
その頃になると、練習目的は、日曜日のサークルに出るために練習してたよ。
毎週練習して、パターンとか作ったり色々な練習して、「今日は入れなかった」とか、「今日は入れた!」とかさ。

NJSC:
その頃は、SAMさん(TRF)とかJUNさん(MANKEYさんのお兄さん)とかもいらっしゃったんですか?

MANKEY:
うん、いたよ。
そこで、佐久間さんにダンス甲子園のオファーを受けたんだよ。
DorDがうまれたきっかけはセンチュリーだよ。


NJSC:
DorDが一番初めに組んだチームですか?

MANKEY:
そうだね、最初チームとして始めたのはダンス甲子園のDorDかな。
DorDには、Rootsのシムラもいて、陽之助と元々仲が良かったんだよ。

NJSC:
そうなんですね。
先程、JUNさんと久しぶりに会ったということは、ダンスのきっかけはお兄さんではなかったんですね。

MANKEY:
うん、中学のころはブレイクダンスをやってるとかは知ってたけどね。
ずっとやってるかは知らなかったよ。
でも、そのセンチュリーに行き出したあたりから、会うようになって、毎週水曜日に練習会をやってるよって言うのも聞いて、行くようになったんだ。
そこで、MARK君(ZOO)とかYANAGI君(O.G.S)とかと、いわゆるGYPSYの人たちと練習するようになったんだ。

そこで、覚えているのが、派手な技を覚えたことかな。笑
当時の最高峰は、ウインドミル。
誰に言われたか覚えていないんだけど、当時は縦ノリだからさ。「来週の水曜日までにウインドミル出来るようにしてこい」って。笑

NJSC:
・・・。笑

MANKEY:
その次の日から、マツモトキヨシに段ボール持って行って、やり方も分からないのに練習して・・。
でも1、2週間でできるようにはしたよ。

NJSC:
さすがです。。汗

MANKEY:
バック転とかも、小学校の頃のふわふわのマットでしかやったことなかったのに、「支えてやるから、ここでやってみろ」って。笑

NJSC:
緊張感のある練習会だったんですね。

New Jack Swingからホーシング、LAスタイル、JIVEからNYスタイルへの流れ

NJSC:
フロアを練習しだしたということは、その辺りから、New Jack Swingと並行してブレイクダンスもやりだしたんですか??

MANKEY:
それを話すとまた違って来るんだけど、それは、New Jack Swingが流行ってて。
その後は、日本で言うホーシング見たいな、手や足を動かすのが流行って。
その後に、当時の俺や周りが「LAスタイル」って呼んでいた16ビートを常に刻むスタイルが流行って。
DADAで言うと、TAKUMI(DEER)みたいな。
このスタイルが流行ったんだよ。

NJSC:
ダンス・ダンス・ダンスに出てたロバートとかのような。

MANKEY:
そう、でその辺りから、New Jack Swingにフロアを入れるっていうのが流行り出したんだよ。
HIROKOダンサーでベニスビーチで踊っている二人組とか、凄いフロア入れるでしょ?

その辺りから、流行り出したんだよ。
で、それを通称して「JIVE」って呼んでた

NJSC:
その頃に、LAに行ったんですか??

MANKEY:
それはまだなんだよね。
ま、ここまでが二十歳くらいなんじゃないのかな?

NJSC:
ものすごい濃い2年ですね。笑

MANKEY:
それで、ロスに行ったのは21,2才位かな。

ここまでが、スタイル的に、LAスタイルとかJIVEとかが流行った後に、東のNYスタイル、EPMDのフェンディとかが流行って、マライア・キャリーとかが流行って、エリートフォースとかAlive TVにつながるって流れかな。

NJSC:
NYスタイルって、New Jack Swingのスタイルですか?

MANKEY:
そう、初めのNYスタイルってリンクとかのことを言うんじゃなくて、フェンディ達の踊りのことを言っていた。
ZOOや当時のダンサーたちは、フェンディの影響をもろに受けてただろうね。

NJSC:
フェンディ、かっこいいですよね。

MANKEY:
ま、ロバート、ソウルブラザーズ、フェンディとかの流行っていったのはあくまで日本の流れだよね。
NJSからホーシング、LAスタイル、JIVEからのNYスタイルって言うのは、あくまで日本で流行った流れで。
そこから、まるっきり変わったのは、エリート・フォースやミスフィッツからだよね。

NJSC:
日本の流れは、あくまでこれだけど、実際のアメリカでの流れは分からないってことですね。

MANKEY:
うん、それは知らない。

NJSC:
西にスキーム・チーム、東にフェンディ一派の流れ。

MANKEY:
そうだね。
「ちゃんねるず」とかはスキーム・チームの影響を受けていたと思うよ。
元々CHINO君とかはブレイクやってたしね。
それと、HIROKOていう歌手は当時のLAのダンサーをつけていて、
ロバート、ロマイ(ファーサイド)、ベニスビーチの二人組シーモアとか相棒名はわすれたけど。
後、Herb Alpertのブラザって言う黒人のダンサーとか。
確か、Jump Streetのカラーパンツの二人組がロバートとロマイだと思うんだよね。

NJSC:
そういったLAダンサーたちで日本公演があったりしましたよね。

MANKEY:
やったね、出たこともあるよ。
スキーム・チームとかもね。
カラーニ、カメレオン、etc
カメレオンとか特に好きだったね。芸術だね

あとダグス、靴のつま先に膝パッドつけて、滑るように踊ったりとかしてて遊びなのか知らないけど、かっこよかったな。

Black Eyed Peasはスキーム・チームの影響を物凄く受けていると思うよ。

ウィルはカメレオンのスタイルを真似というか、雰囲気が似ていて、かっこよかったよ。

ロス留学・現在に至るまでの日本での活動

NJSC:
DorDの後は、チームのような活動はしていたんですか?

MANKEY:
当時は、チームとかはあまり、なかったけど、
DorDの後にJUNKO(DorD)とナオトっていう友達と川崎ルフロンのコンテストとか優勝したりしてたよ。
マハラジャのコンテストとかも。

その後くらいにロスいったのかな。

NJSC:
ロスから帰国後に、New Jack Swing以外で色々なチームを組んでいたと思うのですが、(Capoeira Japon、Hipnotic Boogie)
どういった流れでNew Jack Swingのチームを組みだしたんですか?
今のホーシングGuyz、Swing Men Brothersとかになりますが。

MANKEY:
多分、JUNJI(Swing Men Brothers)とKO-TA(Swing Men Brothers)とAKUちゃん(HOOKS!)と4人でやったのが初めかな?チーム名も覚えてないな。。
Brow(渋谷NutsでMANKEYさんがオーガナイズしていたイベント)じゃなくって、唐さん(現目黒食堂オーナー)のRホールじゃなくて、RでAKUちゃんと俺とイベントやったのが最初かな?
きっかけは覚えてないかな。
衣装はオーバーオールだった気がする。

その後にナッツで、ステちゃん(S.T.O)とか、Real ShitのKOTA、MASAYA(Slugger)、AKUちゃんとか、JUNJIあたりでやったかな?
これは何回かやった気がする。

分からなかったりできないのが面白かった

MANKEY:
5年くらい前のDUOのSuper Berry Jam(DJ Mayumiオーガナイズダンスイベント)で
KAZUさん(Swing Men Brothers)、KOJI君(Alma)、俺、MASAYAとかとやったんだ。
ユニット名は名前のまま。

これが転機かな。

今までは全部同じ年代でしょ?
だから、自分の知ってる動きでやるし、仲間の振りも知って動きや応用だから出来るんだけど、KAZUさんとやった時に、知らない動きばかりだったんだよ。

今までやって来たのに、知らないし出来ないんだよ。
そこから、New Jack Swingが面白くなってきたんじゃないかな?
それまで、New Jack Swingのショーって 集まればすぐ出来てたんだけど、こんなに知らない動きなんだとか、こんなに出来ないんだって気づかされたよね。

だから、面白い。

NJSC:
それは、4,5年位前ですよね?2007年くらい。

MANKEY:
そうだね。その辺りはKrumpをやっていたんだけど、New Jack Swingにシフトしていったよね。

NJSC:
ホーシングGuyzもその頃ですか?

MANKEY:
そのあと位かな?いや、同じ位かな?覚えてないな。何で始まったのかな?
メンバーは、MICCHAN、Koji君、KO-TA、JUNJIだよね。
ショー自体は何回かしかやっていないけど。

ま、話は戻るけど、New Jack Swingやホーシングに関しては、大体分かってたし、応用 が効いてたんだけど、
KAZUさんのは本当に分からなかったな。根本的な所から分からなかった。
Mなのかな?笑
分からなかったり出来ないのが面白かったよね。
だから、最近はホーシングスタイルをやらなくなって、その辺を中心に踊ってるよね。
お陰様で、色々と覚えてきたけど。

NJSC:
それで、今のSwingMenBrothersに至るわけですね。

ランニングマンに始まってランニングマンに終わる

NJSC:
ステップが色々あって、名前ついていないものも多いと思いますが、折角なので名前がついている好きなステップって何ですか?

MANKEY:
名前分からないけど、俺はこーゆーの好きだけどね。(実演中・・・。)
曖昧だったり、よく言われてるステップ、通じるけど使わないのが多いね。
好きなやつか~
むしろ、名前決まってるのって・・・

NJSC:
限られてますよね。笑

MANKEY:
ランニングマン、ロジャーラビット、トゥループ、ロボコップ、クラブ、後・・・・ ぐらいかな

ま、結果あれだよね。
ランニングマンに始まってランニングマンに終わるよね。

NJSC:
間違いない!!
良いの出ましたね!!

MANKEY:
だって、あれだよ。
釣りだってふなに始まり、ふなで終わるよ。

NJSC:
そーなんですか。笑
確かに 自分もふな釣りから、入りましたけど。笑

MANKEY:
最終的にはヘラブナでしょ?

NJSC:
ヘラブナですか。笑
海釣りもはまっていたんじゃないですか?
戻るんですね。笑

MANKEY:
ということで、ランニングマンって事だよね。
ランニングマンさ、皆デタラメやってるけどさ、いっぱいあんだよ、ランニングマンってさ。

NJSC:
深いし、難しいですよね。

MANKEY:
簡単に考えて欲しくないよね。
このランニングマンには、このランニングマンの良さがあって、あのランニングマンには、あのランニングマンの良さがある。

皆は 同じランニングマンって思ってるかもしれないけど、違うっていうね。
ま、そこは最終的には個人の解釈だから難しいよね。

NJSC:
いつか、色々とパターン撮りしてみたいですね。

MANKEY:
ランニングマン、物凄いあるんじゃない?
ちょっとした違いとかも入れれば。

NJSC:
ランニングマンがカッコいいとかっこいいですよね。

MANKEY:
やっぱ、結果色々なランニングマンが出来る中で、俺はこのランニングマンが好きっていう風に落ち着くんだろうね。

Heavy D & The Boyz / Now That We Found Love

NJSC:
一曲好きな曲教えて下さい。

MANKEY:
それ、難しいよね・・・
でも、この間(2011年6月辺り?)に、
長野にコンテストの審査員でいったんだけど、FM長野?で宣伝するって言われて、
たっちゃん(O.G.S) とラジオに出て、その時も一曲って言われたんだよ。

NJSC:
その時は何にしたんですか?

MANKEY:
Heavy D & The Boyzの「Now That We Found Love」
やっぱり、そーゆー事なのかなって思って。

NJSC:
ダンス甲子園のテーマですし、旗も振ってましたしね。

MANKEY:
まーね、旗の意図は分からないけど。笑

NJSC:
ダンサー名をあまり知らない一般の方でも、旗の人って言えばわかりますよね。笑

MANKEY:
まーね、と言っても当時ダンス甲子園をよく見てた人だろーけどね。笑

今のキッズダンサー達いるじゃん。
そのお父さん、お母さんとかは、もろその世代なんじゃないかな?

NJSC:
そうですよね。ダンス甲子園ファン、DorDのファンも多いんじゃないですかね。
自分は、その世代ではないですが、ダンス甲子園のVHSをダンスをしていない職場の方に頂きました。笑

ちなみに、似た質問になりますが、好きなPVはありますか??
PVは曲とは違って、他の要素も色濃く出てると思うんです。
ファッションだったり、その時代のダンサーや、色々感じ取れると思うので。

MANKEY:
難しい・・・。

NJSC:
Herb AlpertのNorth On South Streetとかは、皆好きですよね。

MANKEY:
あれは、オールジャンルで皆好きだよね。
嫌いな人はいないでしょ。
初めて見た時は衝撃的だったな。

PVは難しいな~。。
今全然出てこないかな。
使う曲のPVはどんなものかは見るけど、難しいな~。
色々あるからね。

NJSC:
選べないのも、ある意味答えですよね。

ストリートファッションへの流れ

NJSC:
その時に流行っていたファッションはどんな感じでしたか?

MANKEY:
俺はね、本当に金がなかったからファッションとかな~。

NJSC:
DorDはファッションも格好良かったですよね。

MANKEY:
ゲスパンとか皆履いてたよね。
でも、時代的に色々と高かったな~。
で、ベースボールシャツ。

NJSC:
今は、ファッション的に戻ってますよね。

MANKEY:
戻るよね。
回るというか。

18、19才の時は、ベースボール、スタジャン、バスケも含め、スポーツ系かな。

時代は回ってとっといてあるけど、着れないよ。笑
当時のブルズのスタジャンとか、派手すぎて。笑
牛が背中一面。笑

NJSC:
靴はジョーダンとかですか??

MANKEY:
ジョーダンも当時ものすごい高かったよ。
買えなくて。
俺がダンス始めたころはジョーダン5が全盛だったかな。

NJSC:
ユーイングとかもですよね。

MANKEY:
持ってたかな~??
そういえば、FILAのワークブーツとかが流行ったね。
マーチンは持ってたし。

NJSC:
世間一般的にいう、ストリートファッションの始まりですよね。
それまでは、スーツとかそういったイメージが強いです。

MANKEY:
そうだね。
でも、俺の時は、スーツってあまりなくなってたかな。
上に柄シャツや水玉のシャツ着てたりしてたけど、
下はデニムとかね。
と言っても、きっちりとしたスーツとかを着てたりもしていたよ。

NJSC:
混合の時代ですね。
カラースーツや~バッシュ、スタジャンとか。

MANKEY:
そう、両方いたよね。

NJSC:
今では、オールドスクーラーが着ているような服や、スーツも

MANKEY:
普段から着てたよね。

NJSC:
今だと、なんかやるのかな?って思ってしまいますよね。

MANKEY:
そうだね、でも当時は、その格好でディスコとかに来てたよ。
ま、俺の時は少数派だったけど。
DADAのラインダンスとか見ると、皆凄い恰好してるじゃん?
皆、あれで会場に来てたからね。
当時は格好よく見えたよね。

衝撃的なダンス、初めはウィル(will.i.am -Black Eyed Peas-)

NJSC:
当時好きなダンサーは誰でしたか?

MANKEY:
KAZUさんを含め、ZOOの人たちかな。
チノ君とかも。
外人とかは、スキームチーム、カメレオンとかも。
俺は特にダグスが好きだったな。
LA行ったときは、ウィル(Black Eyed Peas)かな。
かっこよかったな~。

衝撃的なダンスってあるじゃん?初めはそれがウィルだったな。

NJSC:
ウィルがデビューする前のクラブとかですよね?

MANKEY:
そうだね、ロバートとかもいたけど、ウィルが格好良かったね。
古着とかで洒落ててかっこよかったね。
当時からもクラブの外とかで、ラップしてたしね。

New Jack Swingじゃなくなっちゃうけど、ハーレムシェイカーズのスマイルブギーとダーティカークのはじめてみた時の衝撃も半端じゃなかったね。
タイトアイズも衝撃的だったしね。

そういうどんとくる衝撃は時々来るよね。
ウィル、ハーレムシェイカーズ、タイトアイズの衝撃はすごかったな。

・・・おもしろいね、こういう昔話は。

NJSC:
はい、とても貴重な話ですし、自分にとっては知らないことばかりですし。。
(ここにもかけないような話も。笑)
本当に、ありがとうございました!

では、最後になりますが、何か、サイトや閲覧している人たちにに向けて一言あれば。

MANKEY:
皆でNew Jack Swingを盛り上げていきましょう!

NJSC:
以上、MANKEYさんでした!!

Interview & Text : NewJackSwingChannel
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※この記事内に記載の内容は、取材当時(2012/01)または記事初出当時のものです。