本記事では、その歴史、日本での成り立ちについて紹介していきます。
New Jack Swingとは
アーティスト/プロデューサーであるTeddy Riley(テディー・ライリー)が中心となって1980年代後半(87~89)に発生・流行した音楽・ダンススタイルの総称をNew Jack Swing(ニュージャックスウィング)と呼ぶ。スラングとしてのNew Jack(ニュージャック)
New Jackという言葉は、New(新しい)+Jack(奴)から、新顔という発想で生まれた可能性があり、「新参者、ストリートの新顔、青二才、新種の、新しい」という、1980年代半ばに、ニューヨークでは用いられていたスラングである。急速に広まったきっかけは、New Jack Swingが一世を風靡したことことに起因する。
また、アフリカン・アメリカンの映画監督/俳優のマリオ・ヴァン・ピープルズの監督/主演作品「New Jack City」がサウンドトラック盤共々、大ヒットしたことも、このスラングを流行させた。
New Jack Swingの誕生
1970年代までのソウルやファンク、それらから派生したディスコブームが1980年代初頭に一段落した時期に、ストリートではヒップホップが勃興・台頭し、勢力を強めていった。こうした中、アーティスト/プロデューサーのテディー・ライリーは、ファンクにラップなどのヒップホップ的手法を組み合わせ、そこにソウルや、ゴスペル的メロディー・ハーモニーのセンスを加味することによって新たなスタイルを構築した。
テディー・ライリー自身Guyを結成、プロデューサーとしてもヒットを飛ばし、一大流行を作り出すことになる。
後にテディー・ライリーは、このスタイルを「New Jack Swing」と提唱した。
New Jack Swingの、ブラックミュージック特有の重いグルーヴ感を保持したまま、同時に軽快なスピード感と親しみやすいメロディーをアピールするこのスタイルは、若者を中心に高い支持を集めることとなった。
New Jack Swingが与えた影響
New Jack Swingは、曲の中でヒップホップ的手法が印象的に使用された。特にラップを歌ものに積極的に取り入れる形は、New Jack Swingの流行を通じて定着したと言っても過言ではない。
また、ヒット曲と共にヒップホップ由来の独特なダンス(ブレイクダンス、ロッキン、ポッピンからヒップホップのベースとなるステップが見られる。)やファッション、ストリート・カルチャーがミュージックビデオなどを通じて発信され、それもまた人種を問わず熱烈に支持された。
ブラックミュージックブームを巻き起こし、このムーブメントが、それまではR&Bチャートとはほとんど分断されていたアメリカのポップチャートにおいて、R&Bやヒップホップのアーティストが上位にランクインしてくるのが当たり前、という今日のボーダーレスな状況を生み出す原動力となる。
日本での流行
New Jack Swingは、日本でもアメリカの流行を追う形で、1990年代初期に流行した。ZooやClub DADAが代表的だろう。
ダンス甲子園もその時代のダンス番組と言える。
2000年代に入っても、EXILEが「New Jack Swing」という曲を発表したが、このNew Jack Swingのことを指している。
New Jack Swingの衰退と再評価の動き
New Jack Swingの濫造のために市場から飽きられるのも早かった。1990年代半ばには流行も過ぎ去り、提唱者のテディー・ライリー自身もこのスタイルを踏襲しなくなっていった。
一方で、ダンスフロアなどでの支持には根強いものがあり、再評価の動きも見られる。
2000年代に入ってからは、ブリトニー・スピアーズが「My Prerogative / Bobby Brown」のカバーを発表した。
2010年代後半にはNew Jack Swingのリバイバルとして話題を集めたブルーノ・マーズのアルバム『24K Magic』の世界的ヒットなどにより、再びスポットライトが当てられた。